先程、炭水化物に関する記事をFacebookにてシェアし、UPしました。
炭水化物のことは、健康やダイエットなどの観点で、色々なことが論じられていますが、
私自身もヒーリングや施術を行う人間として、食事の健康に対する影響を重要視し、クライアントに対してアドバイスをするだけでなく、自らも日々の生活の中で、健康を維持していくために、食事にはすごく気を遣っています。
ここからは、あくまで私自身の体験や感覚として、感じていることをお話ししていけたらと思います。
それなので、学問としての観点からではなく、あくまで私がこれまでの経験の中からの気づきや学んできたことを、日々の生活の中で自らの身体を通して実践し、
その体験から、健康を維持していく上で、食事に際して気をつけていることを述べていきたいと思います。
もし参考になる方がいれば、耳を傾けて頂けたら嬉しく思います。
健康法はその人その人により、合うもの、合わないものもあると思います。
ご自身に合った健康法を見つけると、それはこれからの人生を強く生きていく一生の大きな力になります。
私が実践し、提案するアプローチが、もし何かの参考になり、日々の生活の中で、健康に生きていく力になれたら、この上なく幸せです。
人の身体や感性は違いますので、もし合わないと感じたら、無理には行わず、医師や医学の専門家の指示を仰いでください。
健康管理はあくまで自己の責任のもと、行なって頂きたいと思います。
〜〜〜 ☆
私自身は過去、身体を壊し、心の健康もバランスも失って、心身ともに長く苦しんでいた時期がありました。
現在は健康を回復し、51歳の年齢の今、直接打撃制の空手の大会に一般部としてチャレンジし、大会への出場を続けています。
これまでの経験から学んだことを財産にして、自分の可能性を広げ、それを自分自身にも社会にも活かしていきたい、
自分にとって一時期の辛かった経験は、それを乗り越え、健康を回復してきた過程そのものが、自分の大切な財産となって、これからの夢と目標に繋がりました。
体調を崩していた当時は、健康を回復していく過程の中で、とにかく心身ともに参ってしまっていて、生活がどうにもならない状態でした。
どのように心理的、身体的に、自身の心と身体をケアし、回復に繋げていったら良いのだろうか?
身体や心や日々の生活を、自身の力でマネジメントしていくにはどうしたら良いのか、全然分からない中で、
自分なりに身体や心の不調と向き合いながら、良いと思われることを色々試したりしながら、暗中模索する毎日でした。
体調が悪く何も手につかない日々も多かったのですが、幾らか調子が良いと感じた時、ちょっとは頑張れそうだと感じた時は、
"良い情報が載っている"と感じた本や新聞記者があったら読み、自分なりに色々調べて勉強し、可能性を感じたものには参加したり、セッション、施術を受けたり通ったりしました。
また、諸々の健康法を試したり、健康食品も色々試したりしました。
どうにもならない毎日だったので、藁をもすがる思いもありました。
その中では、うまくいかないことも、体調をより崩してしまったことも、度々ありました。
とにかく"何とかして欲しい"と、今思うと他力本願の気持ちも強かったと思います。
それが原因で痛い思いや辛いもいっぱいしました。
私自身が本格的に良い方向に向かい始めたのは、氣功やヒーリングを学ぶようになってからだったのですが、
その中で、特に自分にとって影響が大きかったのは、
自分自身の、身体や心から伝わってくる感覚、その感覚的な情報、メッセージに耳を澄ませ、受け取り、従い、それを自身の身体や生活にフィードバックしていったことでした。
そのような自分自身の身体や心との対話を通していく中で、自己受容を深めていったことがきっかけとなっていき、心身ともに少しずつ良い方向に変化が起こっていきました。
それは、これまで私が人生で経験してきた様々なこと、そしてそれ以降に私が出会い経験していくこと、それらが全て一つに繋がっていく、ということを感じる体験を私にもたらせました。
私自身がそれまでに行ってきた演劇活動の経験や、その中で得られた身体的、心理的なスキルや、それを学ぶ中で得られてきたもの、
空手をやってきた中で、身体と意識において感じてきたこと、感じること、
そして、この自身の身体と心の回復に取り組み始めた以降に、学び、のちに仕事として携わることになった整体や東洋医学、
他にも自分が経験してきた様々なことも含めて、
それぞれの分野で体験してきたことや、人生の歩みの中で経験してきたことが、自分の中で全て一本に繋がってきたのです。
そして、それらがともに影響し合うことで、自分の中に本来、持っている力を感じるようになり、その力を取り戻していくことに繋がっていきました。
"ワンネス"という言葉がありますが、本当は、自分自身においても、それ以外との関係も、全てのものが繋がり合い、影響し合い、切り離されているものは何もないのだ、と実感レベルで確信しています。
自分の過去、現在、未来の時間軸の関係も、
自分自身の心と身体の関係も、
自分自身の体験するそれぞれの分野、領域も、
自分と他者、そしてそれ以外の全ての存在、それを取り巻く全てにおいても、
それぞれ全ては繋がりの中で影響し合っていると感じます。
個人の行動、行為だけでなく、心理的な要因も含めて、影響し合う中で生きている。
だから、取るに足らないものなど何もないし、どんなことでも意味があり、何かの影響力がある。
ひとつひとつのことは、全てに影響する。
そのため、目の前にあること、ひとつひとつのことに、以前よりも、丁寧に、大切に携わり、取り組めるようになってきました。
また、生活の中で、色々な都合が生じることにより、予定していたことが思うように取り組めないような時も、そのことで焦ったり恐れたりする気持ちは、以前よりもだいぶ減るようになりました。
それにより、思うようにいかない時があっても、必要以上に怒りの気持ちが湧いてきたり、"何で俺はこうならなければいけないんだろう!?"といった、他にぶつけたくなるような気持ちが湧いてくることが、自分の中で減ってくるようになりました。
そして、自分自身との関係を深めることによって、周りにあまり左右されなくなりました。
他の誰か権威がある人の言葉や、有能と言われている人の言説に、自分の人生の答えや選択を求めるのではなく、
自分の奥深くの中にある真実の声に耳を傾け、その言葉を聴き、自分の人生の方向と選択の答えを見い出すようになったからです。
今まで述べたことを踏まえ、今回、私がお話しするのは、
食事に対する栄養のバランスや知識、東洋医学の考え方、農薬や食品添加物の危険性などの観点からの話題ではなく、
健康を維持していく上で、自分の身体との対話の中で、食事に関して、いかに自分自身にそれをフィードバックしていくか、という点についてです。
〜〜〜 ☆
私自身は現在、ほとんどの食事で、腹八分目くらいの量を食べるようにしています。
少し物足りない、と思える量ですが、毎日の生活の中で大切にする事で、身体と心にすごく良い感覚があります。
また、おやつなどの間食は、基本的に取らないことが殆どです。
ただ、その時の身体や心のコンディションによっては、摂ることもあります。
以前、NHKスペシャルで"長寿遺伝子"についての特集がありました。
それによると、長寿にはある特定の遺伝子がかかわっている、とのことです。
サーチュイン遺伝子と呼ばれるもので、マサチューセッツ工科大学のレオナルド・ガレンテ教授によると、
この長寿遺伝子を活性化させることで、老化の原因となる活性酸素の発生を抑制し、免疫細胞の暴走を食い止めることで、老化の進行を遅らせることに繋がる、
ということでした。
しかしこの遺伝子は普段は眠っている状態で、その機能を引き出すためには、スイッチをONの状態にしなければいけない、とのこと。
その方法として番組ではカロリー制限を挙げ、
アメリカ、ウィスコンシン大学での20年に渡る動物による実験データや、
フロリダ大学加齢研究学部の染谷慎一助教授による研究結果と共に紹介していました。
その内容については、次の投稿で、インターネットにある"NHK特集"の内容を記載した週間現代の記事をシェアしUPしますので、そちらをご確認ください。
私自身は普段、栄養素のことや、品目数など種類やバランス、農薬や添加物のこと、遺伝子組み替えのことなども含め、出来るだけ気をつけて選択し、食事しようと心がけています。
そして出来る限り、その様なことに配慮し食事していくことが出来たら望ましいと思うのですが、
自身もそうですが、それぞれの現状の中で無理をせず、自分の出来る範囲内から取り組んでいく事が大切だと思っています。
経済的なことや、それぞれが置かれている現状など、様々な条件の中で、やはりどのようなことも続けられなかったら意味を成さなくなってしまうからです。
そして、私自身は栄養やバランス、何を選ぶか、など、上記の事以外にも、とても気をつけていることがあります。
それが身体と(&心と)対話すること、食事を摂る時の身体が感じる感覚です。
普段のその折々の身体の感覚も、私は普段、なるべく意識をしながら大切にしています。
それは食事前の感覚、食事中の感覚、食事後の感覚においても同様にです。
もちろん、無理のない範囲、というか無理は一切していないのですが(無理をするものは続かないので)、
心身の不調を回復していく過程の中で、私は瞑想や自己ヒーリングを行ってきたり、普段の生活の中で、自分の身体と向き合うことを大切にしてきたので、
ごく自然に身体を感じる生活習慣が身についていき、それを自身の心や身体にフィードバックしていくことが、身体にも心にも、とても"心地よい"、と感じるので、
自然にそういう生活スタイルになっていきました。
食前、食中、食後の時に感じる、それぞれの感覚があると思います。
ごく単純に考えても、
身体が食事を必要としたらお腹が空く、
水分を必要としたら喉が乾く、
塩分が不足したら、塩気のあるものが欲しくなる、
それだけみても、普段、身体は、必要とするあらゆる事を、メッセージとして伝えてきている、ということが分かります。
"なんだ、そんなの当たり前じゃないか"、と思うかも知れません。
そうですよね、当たり前なことですよね。
身体が必要とするニーズを私達に、その時々に伝えないと、私達は生命を維持することさえも困難になってしまうのでしょうから。
でも、意識を自身の身体に向けていった時に、もう少し、その状態に繊細に耳を澄ませると、もっと細かい情報、身体からの声、メッセージが感じられるかも知れません。
例えば、お腹が空いた時、何を欲しているのか、ということ。
先ほど、塩分が不足した時には塩気のあるものを欲しくなる、とお話ししましたが、それは酸味であるかも知れないし、苦味であるかも知れない。
これは漢方の五行の理論にも当てはまるかも知れません。
人は、自身の身体に起こっていることを、感覚的に深いレベルでは感知していて、身体が不足しているものも、必要としているものも、常に発し続けてきます。
ただ、それに意識を払わなくなったり、何か自身の都合が悪いことを理由に、無視し続けると、身体からの感覚に意識を向けないようにする習慣が身についてしまい、
身体の感覚と、自己の意識と、それぞれの調和を保っていこうとするコミュニケーションの力が疎かで弱いものになっていってしまい、
身体や心から発する、必要な情報を受け取る能力が弱められ、バランスを維持していくことが困難になってきてしまいます。
その為、身体が辛く危険な状態になってきているのに無視し続けると、或いはそのメッセージに気づかずにいると、
何らかの形で分からせ、危険を回避しようと、色々な身体症状を引き起こして強くメッセージを発してきます。
普段、生活の中で、心と身体に意識を向けて、対話する習慣を深めていければ、その分だけ、その必要なニーズに気づき、応えていくことが出来ます。
これは、食事に限ったことだけではなく、その人の身体や心、そして人生の全ての領域においても共通することなのでしょうが、
意識を向けること、感覚を感じ取ることは、それだけとても大切になってきます。
また、実際には、その感じること、意識を向けることと、健康やバランスの関係は、
"ワンネス"という言葉がありますが、
自分の中だけにとどまらず、本当は、全てが繋がり合って、他人や全世界、さらにその外も含め、全ての事象と関わり合っている、と感じます。
自分自身の健康のことでも、自分のそれ以外の領域のことでも、他者のことでも、世界のどこかで起こっていることでも、
そこで起こっているメッセージに意識を向けることをスルーしてしまう、無視してしまう、自分の意識から切り離してしまう、ということは、
自身が感じる苦痛を避け、恐怖や不安を感じないようにするのに、とても都合が良いように思えてしまうのですが、
その痛みや苦痛や、その何かの原因で生じている歪みは、結果として、直接的にではないにしろ、何らかの形で、必ず社会全体に大きな影響を及ぼし、それは結果的に、社会全体の一員である自分自身にも、色々な形で跳ね返ってきます。
現在、世界で起こっている様々な問題こそが、まさにそうなのではないでしょうか?
話はだいぶ逸れてしまいました。(笑)
食事のことに、話題は戻ります。
人間はお腹が空いている時も、身体からメッセージを送ってきますが、食べている最中、終わった後も、メッセージを伝え続けてきます。
食べる前の感覚も、何を欲しているか、ということも、すごく大切だと思いますが、食事中、そして食後の感覚こそが、私はすごく大切に感じます。
人が何かを食べたい、と欲する時、実際には本当に身体が要求しているのか、何かの依存や習慣性の中毒から食べたくなるのか、表面的な意識では分かり辛いことがあります。
或いは、身体が本当に必要なものを欲するメッセージを押しのけて、それに覆い被さり、違う要求を主張してくる場合もあります。
中毒や依存症などはそのひとつではないでしょうか?
炭水化物のことで言えば、ガッツリ系の山盛りのラーメンで、脂分がこってり、塩分がどっさり入ったラーメンなどは、食べると何故か知らないうちに、"また食べたくなる"、
病みつきになってしまう人も結構いらっしゃるのではないでしょうか?
食べてからしばらく日数が空くと、"健康に悪いなあ"、と分かっていながらも、
理性よりも欲求や衝動が抑えられずに、また習慣的に通ってしまう、という人もいらっしゃるのではないでしょうか?(笑)
だが、おそらく食べている最中、あるいはもっとはっきりと分かる感覚だと、食べ終わった後に身体から伝ってくる感覚に耳を傾ければ、どれだけ身体に良くないか、身体の調子がすぐれない状態になっているのか、感じられるのではないかと思います。
ただ、同時に、お腹がいっぱいになるという体験は、苦しかったり、或いはまだ容量に余裕があるにしろ、どこか身体には不快な感覚があるものですが、
同時に"満腹になった"、という感覚は、
一方でどこか"満たされている"という感覚も自分の中に生み出します。
炭水化物は代謝されればエネルギー変わるし、それが精製されたものならば、特に素早く変換される。
塩分も脂肪分も、適量ならば本来は人間、動物には必要不可欠なものです。
人間、動物も、生命を維持するために、それを欲する、満たされる、という感覚は、太古の、食料をいつ摂れるか分からない時代には、とても大きな意味を持ったと思うのですが、現代社会では、必ずしもそうではないと思います。
そして、何かに満たされていない状態の時、食べた後の満腹感は、それが身体に悪くても、一方で、どこか"満たされた"という満足感を感じ、自身の満たされない状態の心を穴埋めてくれるような感覚になる時があります。
過食や依存症を例に挙げると、肉体的、心理的な依存の中で、特に心理的な依存の中においては、その行為を行なっている一時において、それが自分の中の(満たされない、或いは不満に思っている)何かを穴埋めしてくれると感じられることも、影響として大きいのではないでしょうか?
でも錯覚の下で、それが身体の本当の欲求ではなく、本当は身体によくない場合には、不調という形で、身体や心に出てきます。
本当に身体にとって必要なメッセージは、身体からちゃんと伝えてくれているので、
だからこそ、普段、心と身体とコミュニケーションをしていく習慣は、自分の身体を健康に保ち、本来、自身の中に持っている様々な能力を花開かせてくれる、そんな鍵を握っていると、私は感じています。
毎日の生活の中で、普段より少しだけ意識を向けて、食事の最中、或いは食後の身体に感じる感覚を大切にし、耳を澄ませる習慣を心がけると、
それを食べて、身体がどうなっているのか、今、本当に必要なものは何なのか、をだんだんと感じられてくるようになるのではないかと思います。
先程も取り上げた、ストレスによる過食の問題も、身体と心の依存も結びついてきますが、
食べることにより、どこかで"満たされる"と感じられること、身体にも心にも悪いと分かっていても、どこかで心に抱えている問題を感覚的に穴埋めしてしまうことは、
アルコールも、タバコも、その成分自体が依存性があり、心も身体も依存に繋がりますが、
感覚を鈍麻させ、どこかで感じたくないものを感じさせないようにしてくれたり、その成分による覚醒作用で心理的、身体的に気持ちよくする事で、
肉体的の依存と心理的依存を、相乗的に深めてしまう側面があると思います。
また、特定の口から食する嗜好品、成分云々のことではありませんが、
例えば、本当はやることがあるのに、必要のないテレビをダラダラつけて観てしまったり、
インターネット動画をつい何時間も観てしまったり、というのも、
それが本当に欲しているものではないにもかかわらず、それを見ることで、ある種の心地良さを感じることによって、自身の何かを穴埋めしているのかも知れません。
それは、寂しさだったり、人間関係のストレスだったりするのかも知れないし、
自己実現の想いを、動画の人物や内容に投影して、逃避しているのかも知れないし、
自分が取り組むべきことを先延ばしにして、自分が取り組む際に起こるであろう色々なことの大変さや煩わしさを感じたくなくて、
今、この瞬間を、この小さな一瞬の"心地よさ"(本当は自分が真に求めている一番のものではないにもかかわらず)で代用しているのかも知れない。
このこと(本当は今、必要のない動画やテレビやインターネットサーフィン)は、
直面したくないこと、或いは本当は自分にとって必要だけれども、なかなか気が進まないことに向き合うことを避けさせてくれて、ある種の"快"の感覚を(手っ取り早く、苦労せずに楽に)感じさせてくれるから、
つまり、
大切なことに着手する、ということは、それを実現しようとする過程の中で、おそらくは色々な苦労や困難に必ず出会うことになるであろう、と予測されるからこそ、
そのことに直面することを、今、動画を観ることによって、とりあえずは避けさせてくれて、代わりに、今、満たされていない心の隙間を、それが代わりに少しだけ満たしてくれるような(実際には穴埋めにならないにもかかわらず)、そんな感覚を感じられるからではないでしょうか?
でも、これも食事の健康に関する感覚と同様に、もし何かの穴埋めに使っている場合は、自分自身の奥深くでは、それが本当に大切なものなのではない、と分かっているから、そのような場合には、観終わった後に、自己嫌悪に陥るような感覚を感じるのではないでしょうか?
人間の感覚、感じること、意識を向けることの、その内在する可能性について、
健康と身体の感覚との対話における関係について、私が思うことは、
古来から伝わっている漢方薬において、その選択や配合など、その長い時代の流れの積み重ねの中で、たくさんの先人たちが体験を通して、その知識が積み上がって、現在の漢方の理論があると言われていますが、
その要素も、もちろん大きいのだと思われますが、
人間、動物が本来、持っている感覚と能力、
何を、現在の身体の状態は必要としているのか、
現在のように、科学的な検証も出来なかった、医学的なデータも裏付けもなかった太古の時代には、
それら自身の身体で感じられる"感じ取る"という能力と、そこから伝わってくる感覚的な情報に頼ることこそが、自然の中で食料を補給し、怪我や病気から身を守る最大の力になっていたと思うのです。
野生の動物が、誰から教わるでもなく、自身の身体に必要な場所や食料を捕獲し、土などから必要な成分を摂取したり、そのために場所を移動したりしながら、生きるための諸々の選択をしていくのと同様に。
人が体験の積み重ねの中から見い出した側面と、本来人間-動物として生きるために持っている感受性の両方が、漢方や古来から伝わる叡智の理論や考えに根付いている、と思っています。
そういった人間本来が、自身に生命を維持していこうとする能力が本来なら備わっているにもかかわらず、周りからの情報にばかり左右されてしまい、自分の軸を持てずに、"〜が良い"という話をテレビですると、その商品や食材が売り切れてしまったりする。
確かにそれは必要なものを含んでいるかも知れないけれど、全体を見ようとしないので、そういう現象が起こるのだと思います。
普通に考えれば、特定の食材や栄養成分ばかりに偏ることは、健康をつくっていく上で、好ましいとは思えないし、全体のバランスを考えていけば、もっと違う行動パターンになるのだろうと思います。
もちろん科学的に検証されたデータは大切であると思いますし、最大限、活用していくことが望ましいと思いますが。
それは、自分の感じるものに深くアクセスをせず、習慣的に、他者からの"確かである"と思われる情報を、受け売り的に、"真実"と勝手に判断してしまう。
それにより、時には誰かの商売や経済活動の為に、情報によりコントロールされてしまう。
もちろん、資本主義経済において、企業でも個人でも、収益活動により生計を立てているため、商売をしていく上で、如何に、とこでも、自社の、或いは自身の商品が売れるだろうか、ということで、情報を発信していくのでしようが。
食品でも、先日の仮想通貨でも、昨日の株でも、
何かの起こった要因や事実に対して、そのリアクションが起こるだけではなく、
誰か"権威がある"と思われている人の言葉やアクションに、自分の軸を持つことなく、その真実は何なのか、自分の心の中奥深くに問いただしてみることもなく、
自分の中の判断の軸を、他人(或いは権威者)に預けてしまい、その情報に一喜一憂したり左右されてしまったりしながら、
それにより、物が一気に売れたり、高騰したり、大暴するひとつの要素になったりしていると強く感じます。
誰かの収益のための商売や、経済活動の、意図的な言葉やアクションに対し、
知らず知らずのうちに加担する形になりながらも、同時に自分の大切な時間や経済的なものも、預けてしまっている、
もちろん、それを望み、行なっている場合は、自身の目的に沿って行動している訳なので、
結果の良し悪しにかかわらず、自身の掲げた本来の目的に向かうひとつの過程として、どのようなことも、とても大切な経験になり得るのだと思いますが、
訳もわからず、情報に焚きつけられてしまい、振り回されてしまい、自身の軸を失うことによって、"これは本来の目的と違っていた"、と感じたならば、
自分の中にある深い部分の思い、自分の心の中に、本当に大切にしているものは何なのか、
そこにコンタクトしてみることが、本当に自分らしく、自身の人生をこれから歩いていく上で、自身の支えと力になるのだと、私は思っています。
自身の軸を失い、周りの風潮や空気に流されてしまう、というのは、芸能界やスポーツ選手のスキャンダルなどに対する全国的なバッシングの盛り上がりなども同様に感じます、
これは、とかく"マスゴミ"と揶揄される、マスメディアだけの責任ではないと私は感じます。
もちろんマスメディアも大きな影響と責任があると思いますが、
インターネットで発信している多くの一般のユーザーたちも、私も同様に、同じように世論を作り上げている本人であることには間違いなく、
マスメディアの報道にしても、インターネットでの一般人ユーザーの発信にしても、
情報の発信元としても、情報の受け取り手としても、世の中の大きな影響を生み出している、誰もがその渦中にある、ということを考えると、
しっかりと自分の軸を持ち、周りや世間の風潮に流されたり左右されることなく、受け取り、発信していきたいものだと感じます。
私が思うのは、
自身の中深くに、"本当に感じるもの"を、
多くの人が、普段はどこか
"取るに足らないもの"、
として粗末に扱ってしまう傾向にあるのではないでしょうか?
"自分のような人間がおこがましい"という意識、
謙虚に自分を見つめる目も、とても必要だと思いますが、
それと、自分の内面深くにある、"真実に自分が感じていること"、"自分の中にある本当の思い"
を、取るに足らないものとして扱うことは、大きく違っていると思います。
自分の心の中に本当に存在するものを否定してしまうことは、自分の中にある根本的な力を失わせてしまい、
自分の中に本当は眠っている筈の、叡智や力を否定してしまい、
自身の真実の思いからくる判断や責任や可能性を、他者(の責任のない人)に預けてしまうことに他ならない、と思っています。
それが、権威があると言われているひとや、実績のある、と言われている人、そう思われているところから来る情報を、つい習慣的に鵜呑みにしてしまい、或いは、根拠を顧みるのことなく、深く考えたり調べたりせずに、判断を委ねてしまう、その要因に繋がっていってしまうのだと、そう感じます。
もちろん、自身の思いや考えや意見が絶対ではないですし、
他者や周りから学ぶことはものすごくたくさんあり、自身が個人で人生の経験の中で学んだり気づいたりしていくことは、ごく僅かに限られている、
そして、自身が経験していない多くのことを、周りから学ぶことことによって、自分が個人では経験し得なかった多くの経験から得られる財産を、自身の人生の中に、活かし、統合していくことが出来る可能性がある、
そのような素晴らしい可能性を秘めている、と思います。
ただ、多くの場合、その人その人が、本来は無限の可能性を秘めているにもかかわらず、自らの心の中にあることを、卑下してしまい、その自身との大切な回路をどこかに置いてしまい、
自らの身体と心の中にある大切な財産に耳を澄ませる、コンタクトを取ることを忘れてしまっている、
そのことはとてももったいない事だと思っています。
自身が本当に感じていることにノックして、深い部分にコンタクトすることを、大切にしていきながら、
そのことで、自分の中のしっかりとした軸に繋がり、世の中のそこら中で出回っている情報に、振り回されることなく、
自らの価値観と考えや感じていることを大切にし、心や身体とのコミュニケーションを大切にする事で、自身の健康と生活をケアしマネジメントしていく、
それは本当は、その人、その人の置かれた状況の中で、誰しもが可能なのだと思っています。
話がまたまただいぶ逸れてしまいました。(笑)
人が持っている感受性と漢方について、私が感じることを話しましたが、
中国の氣功法、東洋医学、インドのヨガやアユールベーダなどとも、人間の身体と意識と感受性と自然の関わりの中で、根の部分は共通しているのだと思います。
そして、特にそのようなアプローチ、健康法を行なっていかなくても、
普段の生活の中で、自身の身体、そして心から伝ってくるメッセージに、もう少しだけ耳を澄ませていき、そして、その感覚が教えてくれるものに応え、それを自分自身の身体や心や行動にフィードバックしていくことで、
そのことが、自身の本来持っている健康を呼び覚ます力に繋がり、
また、情報過多で毎日追われ、他人の言動に振り回されてしまうことが多い現代に、
自分との対話を大切にする中で、自己に対する信頼感を育てながら、周りに振り回されない軸を、自身の中につくっていける、そういう支えになると、私は感じています。
以上が、私が食生活で、自分自身が実践し、大切にしていることであり、
自身の健康にも繋がり、普段の生活の中で、自分の心と身体とのコミュニケーションを深め、自分の深い部分と強い繋がりと信頼感を構築していくアプローチです。
とかく忙しい毎日の中で、ついおざなりにされてしまうこと、
自身の心や身体の声に耳を傾けながら、そこからのメッセージを聴き、大切にし、応えていく、という、
大元の自分、自分の中にある真の源に繋がっていくこと、
これからの時代は、そのような部分を大切にしていくことが、健康を維持し、
そして、自身の中にある本来の能力に対しての信頼感を取り戻し、
そらを発揮しながら、本来ある豊かな可能性を広げていく上で、
これからの時代に、とても大切になってくると思っています。
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